学習デスクを捨てろ

2016-04-17   design  society  life  kaizen 

以前からずっと疑問に思っていたのだが、

  • なぜ日本の景観はこうも醜悪なのか
  • その根本原因は一体どこにあるのか

ということ。

山が節操なく植えられた杉だらけとか、川がコンクリートでがっちがちとか、建物のデザインが壊滅的とか、景観を醜悪にする要因は多々見受けられる。それらは個人的な力ではどうにもならないのでとりあえず置いておくとして、多くの個人住宅やインテリアまで醜悪なのは、一体どういうことなのだろう。木くずを接着剤で固めた安物家具を、なんの疑問も持たずに購入できる感性は、一体どこからやってきたものなのだろうか。古い世代の感性が最低なのは、そういう余裕のない時代だったから仕方ないのかもしれないが、ではなぜ若い世代の感性まで最低なのか。

そんなことを延々と考え続けた結果、自分が出した結論は「学習デスク」だ

最近はどうなのか知らないが、多くの若い世代が人生で最初に手にした自分の家具が「学習デスク」だろう。これが実に最悪の結果をもたらしている。まずその学習デスクがどういうものだったか思い出してほしい。

  • 最低のデザイン
  • 偽物の素材
  • 無駄に冗長な機能

まさに安物家具の極みみたいな構成要素だ。これがベースにあるのだから、大人になってもこれの延長線上で生活するのはもっともな話ではないだろうか。

さらにこの学習デスクは、10年以上かけて子供の感性を破壊し続ける。10年以上かけて破壊された感性は、修復するのにも 10年以上かかる。実際、おれ自身がそうだったように。さらに修復可能なのは、「そのことに疑問を持って修復しようと努力した人間」だけだ。大多数の人間は、そのことに気づくことすらできないし、結果的に破壊された感性でさらに世の中を破壊し続けることになる。

もちろんすべて「おれの想像の範疇」でしかないが、それでも醜悪な学習デスクを子供に与えるのを止めることは、相当な効果をもたらすだろう。もしタイムマシンがあれば、おれは子供の自分に「無駄のない美しいデザインの無垢材のデスク」をプレゼントしたい。