過剰な要求をしない

2016-05-28   life  society  management 

数年前から自分では絶対にやらないようにしていることのひとつに、

  • 他人に対する過剰な要求

というものがある。

それ以前は他人に過剰な要求をしていた、というわけではないのだが、これを当たり前のようにやっている人間がとにかく醜く見えて、自分では絶対にそうならないようにしなければならないと心に決めたためだ。

この他人に対して過剰な要求をする人間とは、たとえば次のような人間のことだ。

  • コンビニや飲食店で店員に切れるやつ
  • 大して金も払わずに店員に過剰なサービスレベルを要求するやつ
  • 台風で止まった電車を動かせと駅員に詰め寄るやつ
  • etc.

まあよく見る光景だと思うが、こういった連中の共通点が「他人に対する過剰な要求」である。それだけの金銭の支払い、または社会的貢献をしているならまだしも、こういう連中は決まってろくに金も払わず、社会的にも大した貢献もできないうだつの上がらない連中である。対価も払わず、社会に貢献もせず、まったくの他人に自分の都合だけを一方的に喚き散らすその醜い有様は、筆舌に尽くし難い。

もちろん、社会的に地位のある人間がそうである場合も見受けられるが、社会的地位=能力ではない。こと日本社会においてはそうだろう。周りを見渡せば年功序列や、わけのわからない理由でたまたまエラくなっただけの人間が山ほどいる。

過剰な要求をする連中は大抵、相手に対して怒鳴ったり高圧的な態度を取っているが、そこからしてすでにまともではない。そもそもどんな立場や関係であれ、平気で他人を怒鳴ったり、高圧的な態度を取る人間を、まともな人間だとは到底思えない。以前はそういう人間に当たったときは、自分もすぐに頭に血が昇っていたが、最近はそういう人間を完全に異常者として扱うようにしている。そういう人間を異常者として、第三者的視点から冷静に観察してみると、上手い対処法が見つかると思う。ミイラ取りがミイラになるが如く、我々が異常者になってはいけない。

これはなにも接客業に限った話ではなく、会社などの組織内にも同様のことが見受けられる。組織内に (費用対効果を完全に無視した) 過剰な要求をしてくる人間がひとりでもいると、必ずそこからほころびが出てくる。当の本人は優れたマネージメントをしているつもりだから余計質が悪い。これを最大化したものがいわゆるブラック企業である。つまりブラック企業とは、他人に対する費用対効果を無視した過剰な要求の塊のことだ。

最近よく日本の生産性の低さが話題になるが、この「費用対効果を無視した過剰な要求」というのがひとつのキーポイントだと考えている。なぜこういったブラック企業的思考の人間が湧いてくるのかというと、個人的な意見としては「想像力の欠如」があると思う。自分が他人に突き付けた過剰な要求による社会的悪影響を想像できないのだ。他人への過剰な要求は、巡り巡って自分に返って来る。おそらくそんなことは想像だにしないのだろう。

世の中を悪くするのは、決まって想像力のない連中だ。