判断基準フレームワーク

2015-12-30   hack  management  bestpractice 

ここ数年、生活の中でなにかを判断するときに、自分の中に確固たる基準があれば、よりよい結果を得られるのではないだろうか、という漠然とした目的意識みたいなものが常に頭の片隅にあった。

もちろんそんな堅苦しいものなんかなくても、人間なんだからそのときの気分で決めたらいいのかもしれないが、自分の性格上、基準はないよりあったほうが爽快に感じることが多々あった。

そういうわけでいろいろと試行錯誤した結果、最終的にたどり着いた判断基準が思いのほか生活を豊かにしてくれた

あくまで自分のための、自分の人生のための判断基準でしかないが、他の人にも有効だと思われるので、ここに記載しておく。

無駄であるかどうか

「そんなの時間の無駄だ」、誰でも一度はこんなことを言われた (もしくは言った) ことがあるだろう。

では、無駄なものとは一体なんなのであろうか? 逆に無駄でないものとは?

たとえば小説でもマンガでもアニメでもゲームでも、そういった娯楽作品を受け入れるか受け入れないか、買うか買わないか、続けるかやめるか。アニメ界隈でよく見かける「1話切り」などという行為も、その基準となっているものはなんであろうか。

おもしろいか、おもしろくないか

おそらくほとんどの人はそう答えるだろう。だが、個人的にはその「おもしろい」という判断基準は採用しなかった。「おもしろい」は、あまりにも抽象的で漠然としているというのもあるが、「おもしろい」を基準にしてしまうと確実にノイズが入ってくる。

たとえばテトリス、あれはなかなかよくできたゲームで多くの人にとって「おもしろい」ゲームである。だがあれを「無駄ではない」という人は少ないのではないだろうか? つまり「おもしろい」からといって、必ずしもそれが「無駄ではない」とは限らない。

そこでもっと踏み込んだ判断基準を考えてみた。自分にとって「おもしろい」かつ「有益」であるための基準は、

心に残るか、残らないか

である。

たとえどんなにおもしろくとも、心に残らないものを続けることは、ただの作業である。金にならない作業なら、いますぐやめるべきだ。

この基準よって得られる最大メリットは、いわゆる課金ガチャなどといった脳内麻薬が分泌されるようなものから開放される点にあると思う。自分はこの基準によって、課金ガチャゲーにハマらずに済んだ。

逆にもし「おもしろい」かそうでないかを判断基準としていたらどうだったであろうか? その事自体が「おもしろい」を判断基準としてはならない最大の理由である。それをやってしまっていたら、もしかしたら課金兵になっていた未来も十分ありえたのだ。

課金兵各位は、自分の子供に「ぼくのおとうさんは、はいかきんへいです」みたいな作文を発表される未来しかないことを、肝に銘じるべき。

おれは「RPG の過剰なレベル上げ」とか、「テンプレラノベアニメの消化」とか、心に残らないことは一切やめた

ついでに、おれが考える「この世でもっとも価値のあること」の定義を紹介しておきたい。

この世でもっとも価値のあることは、「人の心を動かすこと」である。

完璧であるかどうか

完璧なものなんて存在しない、とかそういうのはとりあえず抜きにして、「自分にとって完璧なもの」とはどんなものであるだろうか?

  • 完璧な成果を上げたい
  • 完璧なものを選びたい

といったときに、なにをもってそれらを完璧と判断するのか? 自分が判断基準としているのは、以下の 3点である。

  1. シンプルであるか
  2. スピーディーであるか
  3. スタイリッシュであるか

これらの質問に対して NO がひとつでもあれば、それは完璧とは言い難いものである。

反対にこれらの質問に対してすべて YES であれば、それはおおよそ完璧と言っても問題はない。(さらにこれら 3つの基準の個別の定義も必要になると思うが、それは長くなるので割愛)

これは個人的にものすごく気に入ってる判断基準でもある。この判断基準を取り入れてから、仕事の成果物の品質が目に見えて上がった気がする。

ちなみに Google は、「シンプル・スピード・セキュリティ」だそうだ。


自分の中でこれらの基準は、ここ数年で最大の発明となった。なにしろあれこれと余計に悩む必要がまったくなくなったのだから。その時間と労力を、もっと別の重要な事に回せるようになったということである。

これが「判断基準フレームワーク」を持つことの最大の利点である。