生産性とはなにもしないことである

2018-04-15   life 

仕事で生産性が議題にのぼることが多々あるが、毎回のように全く話がかみ合わない。その原因を考えてみると、各自の「生産性の定義」および「目指すべきゴール」が、全く異なっていることに気がつく。

いい加減このパターンにも疲れてきたので、生産性に関する個人的な見解を記事にしてみることにした。賛同してくれる人が一人でも増えてくれることを期待してのことだ。

日本の生産性

日本の生産性の低さが語られるようになって久しいが、肝心の生産性の低さが改善される兆しは一向に見えてこない。だれかが言っていたことだが、結局のところ日本人は、生産性というものが一体何であるのかを全く理解していない。理解もせずにただ闇雲に「生産性」という言葉の影を追い続けているのではないだろうか。

「生産性とは詰まるところなんなのか」を理解せずして、生産性の向上はありえない。それはゴールを知らずにマラソンに参加するようなものだ。結果どうなるかは想像に難くない。

生産性を改善するには

ネット上では PC 初心者、いわゆる情弱と呼ばれる人たちの馬鹿げた言動がネタにされているのをよく目にする。それらのネタをよく見てみると「PC 初心者たちは PC というものが何なのかを全く理解していない」という共通点が見えてくる。日本の低生産性問題に関しても同様に、「生産性というものが何なのかを全く理解していない」という問題点が見える。

「それが根本的に何なのか」という本質を見極められていないから、結果として馬鹿げた言動を取ってしまうのだ。

そうならないためにもまず先に、

  1. 「生産性とは何なのか」の定義
  2. 生産性の究極のゴール

を設定するべきだ。生産性とは何であるか、簡潔にわかりやすく定義することが、真に生産性を向上するための近道となるだろう。

生産性の定義

「おれの生産性の定義が絶対である」とまでは言わないが、気に入った人がいたら是非おれの定義を採用してほしい。この定義に賛同してくれる人が一人でも多くなると、世の中は確実によくなると確信する。

生産性とは、なにもしないことである

これがおれの生産性の定義、究極のゴールだ。だが残念ながら、一見矛盾しているためなかなか理解されない。「寝ながら生きていけるなら、それが最も効率的で生産性が高い」と言えば理解してもらえるだろうか。

「なにもしないこと」を生産性と言っているために、逆に「生産性とは生産することなのだから、なんでもいいからとにかく仕事をしなければならない」と考えている人たちと話が合うはずがない。

とにかく仕事しようとする人たちの問題点

生産性を上げるために、なんでもいいから仕事をしようとする人たちの最大の問題点は「無駄に仕事を増やすこと」にある。日本ではいたるところで見かけると思うが、彼らの行っていることは、簡潔に言えば「目的と手段の取り違え」だ。仕事は成果という目的のための手段にすぎないが、彼らにとっては仕事こそが目的なのだ。そこに成果が生まれることはないし、もちろん生産性が向上することもありえない。

こういう人たちは「なにもしない」ことに、異常なほどの拒絶反応を示す傾向がある。「なにもしない」ことを恐れるあまり、次から次へと無駄な仕事を増やす。結果、本当に生産性の高い仕事のリソースすら食いつぶす有様だ。

それを理解しない人たちと生産性に関して議論しないとけいないのである。本当に疲れる。

生産性を上げるために

もちろん「なにもしない」で生産することは、残念ながら現状では不可能だ。我々の社会にはそんな魔法や科学技術は存在しない。それはあくまでも究極目標として、「可能な限りなにもしない」を目指せばいい。

「なにもしない」が基本だが、それだとなにも生み出せないので、本当に重要なことだけを仕方なくやる。これが最も生産性を高めるスタンスだ。

また、できるだけなにもしないために、

  • 省エネ化
  • 自動化

も手段として積極的に採用していきたい。

不毛な議論に終止符を

もし、「なにもしない」を生産性向上の究極のゴールとしてくれる人が一人でも増えてくれたら本当にうれしい。「ブラック企業は悪」という社会的コンセンサスがブラック企業を締め上げたように、「生産性とはなにもしないこと」という社会的コンセンサスが、生産性向上の障害となっている連中を締め上げてくれるからだ。

そろそろ無駄な仕事を増やす連中との不毛な議論はやめにしたいものだ。