プレーン恐怖症

2018-08-26   society 

近所にある比較的新しいショッピングモールの前を通るたびに思うことがある。このショッピングモールがまだできたばかりの頃、正面の白い壁に「わけのわからないカラフルな棒」みたいなのが、ランダムな感じで貼り付けられていた。「うわぁ、これメンテナンス性も悪そうだし、なによりダサいし最悪だな」と思っていたのだが、いつからか取り外されて、ただのペイントに変えられていた。

普通に取り外すだけでよかったのだが、わざわざペイントしてまで残す必要がどこにあったのだろうか。そもそも最初からあんなダサいだけの装飾は不要なのだが、彼らはそれを必要だと信じて疑わない。というよりむしろ、それがない状態を悪だと思い込んでいるのだ。おれはこれを「プレーン恐怖症」と呼んでいる。

このプレーンとは、「プレーンヨーグルト」とか「プレーンテキスト」とかの「プレーン (plain)」だ。

装飾のない,模様(彩色) のない; 凝っていない.
a plain dress (飾りのない)地味な服.

https://ejje.weblio.jp/content/plain

つまり、

  • プレーンな状態を悪だと思い込む
  • プレーンを破壊することこそが正義であると信じて疑わない
  • その結果、明らかにないほうがマシな過剰で無駄な装飾を施す

これが典型的なプレーン恐怖症の症状だ。

  • スーパーで流れている「ないほうがマシな変な BGM」
  • 駅構内で聞かれる過剰な警告放送

なども典型的なプレーン恐怖症による弊害である。彼らは無音というプレーンな状態を、悪だと信じて疑わないのだ。

ちなみに、このプレーン恐怖症に対して圧倒的 NO を叩きつけて成功したのが無印良品である

同様に、IT 業界もこのプレーン恐怖症と戦ってきた歴史がある。IT業界、正確にはプログラミングの分野では、「特別なフレームワークやライブラリを使用しないプレーンな状態は悪である」という誤った印象が広まった時期があった。これを打破したのが、「プレーンな状態を意味する名前」を作るという画期的なアイデアだ

人は名前が付いていないものを軽視する傾向がある。したがって、プレーンな状態に名前を付けることによって、プレーンは重大なものであると意識させることにしたのだ。それが「POJO (ぽじょ)」である。

この画期的なアイデア、 POJO という名称による絶大な効果を簡潔に説明すると、以下のようになる。

Before POJO

Q. どうやって実装しましたか?
A. なんとかフレームワークで実装しました!
→ すばらしい!!!

Q. どうやって実装しましたか?
A. 特別なフレームワークなどは使用せず、できるだけプレーンな状態で実装しました!
→ なにそれしょぼい・・・

After POJO

Q. どうやって実装しましたか?
A. なんとかフレームワークで実装しました!
→ POJO でもっとシンプルに実装できないの?

Q. どうやって実装しましたか?
A. POJO で実装しました!
→ すばらしい!!!

この POJO という概念は、プログラミング以外の分野でも積極的に使われてほしい。前述のないほうがマシな外壁の装飾は、この概念があれば阻止できたはずである。原則としてプレーンな状態を可能な限り維持する方向で検討するのだ。装飾を否定はしないが、それがプレーン恐怖症によるものなのか否かは、徹底的に検証されるべきだ

我々が真に駆逐すべきは、プレーンな状態ではなく、プレーン恐怖症である

補足

冒頭のメンテナンス性に関しては、以下の話と関連している。

また、無駄な装飾を施すという問題は、生産性の話とも関連している気がする。