「豪華な犬小屋」問題

2016-11-21   society  management 

最近、おれが命名したよくある問題のこと。どんな問題なのか具体的に言うと、「犬小屋が必要なところに、無駄に豪華なタワーマンションを建てようとすること」だ。似たような言葉に、過剰投資とか過剰設備、または過剰品質なんてのがあるが、ここで強調したいのは、「必要十分の大幅な逸脱」だ。

おそらく日本の労働時間が無駄に長い要因のひとつがこれだ。犬小屋を建てればいいところに、わざわざタワーマンションを建てている。しかも、そのときだけの問題で済めばまだいいが、タワーマンションはその後のメンテナンスコストも甚大だ。

なんでこうなるかというと、犬小屋だと不安でしょうがないやつがいるからだ。そういうやつが上に一人でもいるともうだめ、間違いなくこの問題にはまる。実際、おれは何度もそういう光景を目にした。

ここで注意するべきは、そういう人間を是正しようとしないこと。なぜなら、不可能だからだ。そういう人間は絶対に変われない。「豪華な犬小屋」を建てることで評価されてきた人間が、それを捨てられるわけがない。近づかないようにするか、排除する以外に改善策はないと考えるべき。

犬小屋を必要としている人に、タワーマンションを勧めることも慎むべきだ。おれがある分野の専門家としてアドバイスを求められたとき、もっとも意識するようにしているのはこの問題だ。特定の分野の専門家、つまりマニアの意見は、一般人には往々にして過剰であることを強く意識しないといけない。

そうでなければ、行き着く先は豪華な犬小屋だ。

ただ、最近はむしろその逆のパターンが多いかもしれない。

タワーマンションを建てるべきところに犬小屋を建てて、「こんなにコストカットできましたー!」みたいな見当外れなことを言っている異常者を、至る所で見かける。

連中の厄介なところは、犬小屋を建てておきながら、タワーマンションの豪華さを要求してくる点だ。建設業者に対して、「なんでタワーマンションのように豪華じゃないんだ!」みたいなクレームを付けてくるから手に負えない。あんたが犬小屋を建てることを要求したからだよ。

タワーマンションの豪華さが必要なら、はじめからタワーマンションを建てなければならない。そんな当たり前のことを理解できないのだ。

もしそういった場面に出くわしたら、この「犬小屋問題」を思い出してほしい。社会全体でこの問題を駆逐していくことが重要だ。