リスクを取って金を儲けることはすばらしいことだ。
そこは否定しないし、本当にすばらしいことだと思う。だが、なぜか日本社会では、「自分が取るべきリスクを他人に押し付けて金を儲けること」が一般的である。また、社会的にもそのことが容認され許容されている。
たとえば、
- 連帯保証人制度
- 殺人住宅での賃貸経営
- 外国人技能実習制度
- ブラック企業経営
みたいなやつだ。
賃貸経営者こと殺人住宅オーナーは、殺人住宅で賃借人の命を削ってまで利益を求めておきながら、高々数万円の家賃にすら連帯保証人を求めてくる始末。しかもあわよくば礼金まで取るという強欲ぶりだ。命を削られることに謝礼を払わされるとは世も末である。
このように日本社会では、「リスクを他人に押し付ける行為」があたりまえのように容認されている。
それどころか、
- 「リスクを他人に押し付ける行為」を非難すると、
- 「自分がリスクを押し付けられる側の人間」であるにも関わらず、
- なぜか「リスクを押し付ける側の人間」を擁護する層が相当数存在している。
これは本当に異常なことである。
わかりやすい例を挙げるとこれだ。
- 一般労働者「ブラック企業は残業代を支払え!」
- ブラック労働者「残業代を支払ったら多くの企業は倒産する!」
なぜ、
- 「リスク」を全て他人に押し付けて
- 「リターン」だけを得ようとする人間
を擁護したいのかまったく理解できない。これだから日本には人権侵害レベルの商売が溢れるわけだ。
擁護している当の本人は「思いやりの精神()」なのかもしれないが、その歪んだ思いやりが生み出している社会的歪みにも目を向けるべきだ。それが擁護する側の人間の責任だ。
だが、おそらくこの「リスクを他人に押し付ける行為を容認する社会」の問題の本質は、その「歪んだ思いやり」自体にあるのだろうと考察する。
つまり日本社会では、
思いやりの精神 >>>>>>>>>>>> 越えられない壁 > 歪んだ思いやりによる社会的歪み
ということである。だから日本社会では「リスクを押し付ける側の人間」が、あたりまえのように擁護され保護されているのだ。もっとも、「思いやりの精神()」というのなら、そのリスクの押しつけによって、場合によっては人権侵害レベルの被害を被っている被害者こそ思いやられるべきである。「歪んだ思いやり」と前述したが、まったくもって常軌を逸している。(想像力の欠如がこの状況を生んでいるのだろう。世の中を悪くするのは、決まって想像力のない連中だ。)
繰り返しになるが、これだから日本に人権侵害レベルの商売が溢れるわけだ。
- 「リスクを他人に押し付けようとする人間」を擁護せず許容しない
- 自分がリスクを押し付けられていないか慎重に考慮する
- 他人にリスクを押し付けるようなことは慎む
多くの人がこれらを肝に銘じて生活するだけで、「押し付けリスク」の問題は相当改善できるはずだ。
余談だが、日本人はリスクを取らないという俗説がある。だがそれは本当なのだろうか?おれが思うに、日本人は押し付けられたリスクですでに手一杯なのだ。