因果が逆

2019-10-05   life  society 

最近よく考えていることなのだが、「すべて因果が逆なのではないか?」ということ。我々が「結果」だと思いこんでいることは、すべて「原因」なのではないだろうか。

先日話題になっていた例のハンコ大臣なんてまさにそうだ。

  • 原因: 国がハンコをやめない
  • 結果: だから我々がハンコをやめられない

多くの人はこう感じただろう。だが、おれはこれが完全に逆だと考えている。

  • 原因: 我々がハンコをやめない
  • 結果: だから国がハンコをやめられない

原因は国ではなく、国民である。我々が考えていたのとは、因果が逆なのだ。

先に「すべて 因果が逆なのではないか?」と言ったとおり、これはハンコに限った話ではない。先月、引っ越しをしたのだが、それで感じたのは「殺人住宅もハンコと同じ構図」だということだ。

つまり、

  • 原因: 我々が殺人住宅に住み続ける
  • 結果: だから殺人住宅が建てられ続ける

ということになる。引越し先は「前の殺人住宅アパート」とは違ってかなりまともな物件なのだが、初めからまともな方を選んでいればよかっただけの話だ。殺人住宅を選択していたのはおれ自身だ

因果はすべて逆であった

破滅的な結果になっていたのは、先に自分で破滅的な選択をしていたからだ。ハンコや殺人住宅に限らず、思い当たる節がかなりある。

「実際にすべての因果は逆であるか?」、もちろんおれはそれを証明する術を持たないし、そもそもする気もない。なぜなら、重要なのはその証明ではなく、「自分の意思がどこにあるか」だからだ。

因果が逆であると考えた方が、我々の意思が先に来る。つまり、主導権は我々の手に移ることになる。その結果どうなるかは神のみぞ知るだが、少なくともおれは「自分の意志を先に置く」ことを選択したい