はじめに
おれの人生の目標の一つに、「鉄の塊になる」というものがある。
See also 「鉄則に従え」
「迷い」や「判断ミス」は、「鉄則」のないところに生まれるものだ。したがって、あらゆる「鉄則」を自分の中に取り込んでいけば、いずれは「迷い」や「判断ミス」を全て弾き返す強靭な「鉄の塊」のような人間になれる。
これは「机上の空論」ではなく、ある程度実体験に基づいた「おれの結論」である。
「鉄則」はそう簡単に見つかるものでもないし、見つかったとしても期待したほどの強度がなかったりもする (それは単に「“鉄” 則」ではなかっただけの話だろうが)。だが、たとえそうだったとしても、普段の生活の中から「鉄則」を見出すことを求め続けるべきだ。 普段の生活で見出したそれらは、(たとえ強度が鉄に及ばなかったとしても) 確実に自身を「鉄の塊」に近づけてくれるはずである。少しでも「鉄の塊」に近づくためには、要は「強度の高いものを片っ端から取り込んでいくのが近道」だからだ。
そこで「最近見つけた鉄則」を記事としてまとめて、共有していくことを思い付いた。これを「最近見つけた鉄則まとめ」として、シリーズ化していきたい。
最大の目的は “少しでも「鉄の塊」に近づくこと” なので、「鉄則」ほどの強度はないであろう「ベストプラクティス」や「ノウハウ」等も、積極的にこれに含めていく。
以下、最近見つけた「鉄則」まとめ。
掃除は人生の基本
去年からの在宅勤務でこれを思い知った。より良い人生は「日々を気分良く過ごす」ことの積み重ねで得られるものであり、そのためには日々の家の掃除は必須だからだ。
「鶏が先か、卵が先か」の話になるだろうが、部屋が汚いと精神が乱れる。おれもかつてはガラクタとホコリにまみれた部屋で生活していたが、そのときの精神状態はいま思うと良くはなかった。
「風水」でも汚れた部屋は悪とされるが、その「風水」もおれが知る限りでは「日々を気分良く過ごす」ことを目的としているように思える。風水的に NG とされているものは、大抵「そうなっていると気分が良くないもの」だからだ。結局のところ、運勢や幸運といったものも「日々を気分良く過ごす」ことに帰結するのだ。
汚れは邪気を呼ぶし、逆にきれいな部屋は自身を護る結界となる。掃除で部屋の結界を強化し、「日々を気分良く過ごす」べきだ。
拭き掃除は、「マイクロファイバークロス水拭き」の一択
「掃除は人生の基本」のサブ鉄則的な話、その 1。
ブラーバを購入して拭き掃除に目覚めてから至った結論。「マイクロファイバークロス水拭き」に勝る掃除はない。マイクロファイバークロスで水拭きをして、乾いた後に拭いたところの表面を触ってみてほしい。完全に手触りが変わっているはずだ。
マイクロファイバークロスを多めに用意して、拭きまくってから洗濯カゴに突っ込む。1 日に 2〜3 枚のペースで使用し、ある程度溜まったら洗濯機で一気に洗濯する。洗濯機を活用することで、クロスを洗う部分を半自動化できる。
そうすることで拭き掃除を楽に生活に取り入れられるはず。ちなみにこの鉄則に気づいてから、会社にもマイクロファイバークロスを常備するようになった。
See also 拭き掃除 Hacks
床に物を置くな
「掃除は人生の基本」のサブ鉄則的な話、その 2。
ルンバ使いには常識として語られていることだが、ブラーバを導入してさらに強く意識するようになった。その影響で、長年使っていたチェアマットも廃棄した (See ベストバイ 2021 年 2 月 )。とにかく床をクリアにし、ルンバとブラーバの性能を出し切る努力をするべき。
床に物を置くとしても、
- キャスターを付ける (See 「キャスターは貼り付けろ」)
- 床との間にルンバが入れるスペースを空ける
のいずれかを実行するべき。
See also 「地球の重力に魂を引かれない収納」
空白に感謝を置く
具体的に言うと、「余裕があることに感謝する」という意味になる。「気持ちの余裕」の話ではなく、「物理的な空間の余裕」の話。
「人間は空白を埋めたくなる生き物だ」という。いつの間にか家の中に物が増えるのは、人間のこの習性のためらしい。
だが、もし「余裕があることに感謝する」ことを日々実践していたらどうだろう? 「部屋の広さに余裕がる」こと、「収納に余裕がある」こと、「スマホのストレージ容量に余裕がある」こと、それらの「余裕」に日々感謝していたら、果たして「空白を埋めたくなる」だろうか?
つまり、空白には物の代わりに「感謝」を置くことで、その空間に余計な物を置けなくなる、ということだ。
See also 「空白に感謝を置く」
最近、一人で使うには大きすぎる冷蔵庫を購入した。案の定、中はほとんどスカスカだが、おれは日々この冷蔵庫の中に「余裕があることに感謝」している。
名前がダメなら全部ダメ
おれがやってるシステム開発の話ではあるが、その範疇はシステム開発にとどまらないはずだ。
システム設計、プログラミング設計の類はまず命名から入るが、その命名に無頓着な人が多すぎる。スペルミスにとどまらず、「猫に犬みたいな名前を付けて、あとになって"まずそれが猫なのか、犬なのかを実物を見て判断"しないといけなくなっている」みたいなことを、さも当たり前のような顔をしてやっている。最初から「猫には猫みたいな名前を付けたらいい」だけの話なのに、だ。これは「名前がダメなら全部ダメ」の最たる例だ。
どんなにいいものを作っても、それの製品名が最低だったらそれは普及するだろうか? 命名には細心の注意を払うべきで、それはなんの命名であっても変わらない。
ゼロをいくら積み重ねても永遠にゼロ
「成果があまり芳しくない人」を見ていると、大抵このパターンを踏襲している。つまり、「延々とゼロを積み重ね続けている」のだ。「あれはここがダメだからやらない」「これはああだからできない」を繰り返して、ゼロばかりを積み上げていく。これで成果が出たら逆に異常だ。ゼロをいくつ積み上げようとも、永遠にゼロである。
「あれはここがダメ」なら、そこを迂回して半分でもやったらいいし、「これはああだからできない」なら「こうしたらいい」を探して不完全でもやってみたらいい。そうやって積み上げたものが成果につながるのだ。
「成果があまり芳しくない人」にとどまらず、自身が「ゼロを積み上げていないか?」疑ってみるべき。そうなっていたら即座に改めよう。
1 でも 10 でもいい、とにかく積み重ねて大きくしていくことだ。